イギリスの歴史 川北稔編
・イギリスは多民族国家
・共通言語は英語
・一貫して帝国構造
・ジェントルマン(地主を主体とする資産家)支配
フランスの貴族階級支配と異なり、「生まれによる壁」は無く大成功すれば支配階級に入 れる。
・ジェントルマン資本主義
・ブリテン島に集まる異民族たちが後世のイギリスを成立させていく。
・ケルト文化の鉄は農業を変えた。
BC55年大陸ではローマ帝国カエサルがガリア遠征し、ブリタニアに圧力をかけ攻撃したが、戦車戦法にてこずりガリアに引き揚げた。
ローマ支配から、アングロサクソンを主とするゲルマン民族が海を越えて侵入攻撃される ようになり、ブリテン島支配は終了。
・キリスト教がローマの軍隊や商人により持ち込まれた。
・5世紀前半にローマ支配の終末をむかえ、やがてアイルランドから来たケルト人であるスコットラ人の定着が始まる。
6世紀末アングロサクソン人は自分たちの支配する「アングル人の土地」という意味のイングランドを形成していく。
追いやられたブリトン人はフランスのブルターニュ地方に住み着く。
侵入、定着したアングロサクソン人は、ついに7王国の出現までに至る。
829年 イングランドの成立。
アングロサクソン人は貴族・平民・奴隷の身分が存在していた。キリスト教による文化的統一。やがてデーン人のバイキングの来襲。各地で略奪が起こる。デーン人は内陸部まで侵入、定着していく。
アングロブリティニッシュ+デーン人---aアングロデーニッシュ体制。
ノルマンコンクエスト(ノルマン人の征服)ではフランス各地から集まってきた騎士によるイングランド征服が起こり
アングロノルマン王国となる。
その結果イングランドは北フランス文化圏に含まれることになり、フランス化していった。ノルマンディ公ギョームがウイリアム一世に即位。aウイリアム二世aヘンリー一世-aヘンリー二世
・1154 イングランド王位の継承により、スコットランド国境からイギリス海峡を挟んで
ピレネー山脈に至る
広大な土地が一つの家門によって統治されることになった。マンジー帝国の成立。
・1169 アイルランドを征服。
1189 リチャード王
1199 リチャード王の弟ジョンが王位に就く。
1216 ヘンリー3世即位
・1260 シモンド・モンフォールの乱
1266 マールバラ法制定で反乱は終息
1273 エドワード一世即位
1284 スコットランド王位継承問題
百年戦争とバラ戦争
エドワード三世時代
・1307 エドワード二世
寵臣(ちょうしん)政治
・1308 エドワード、フランス王女イザベルとの結婚のため渡仏。以後次々に王の寵臣
が台頭し宮廷派と諸侯の対立を生み、
国政は混乱に陥る。
・1322 ヒューディスペンサーの専制
・1324 サンサルド戦争 英仏間の戦争
・1325 王妃イザベルと太子エドワードと挙兵、ディスペンサーを打倒
・1327 エドワード二世廃位、エドワード三世即位
エドワード三世の親政開始
・1330 エドワードは親政を宣言、大諸侯の共同の助言に基ずく政治の実行を誓う。
・1337 エドワード三世、フィリップ6世に対してフランス王位を請求。
百年戦争始まる。
対仏戦争は国策として戦争へ駆り立てるという思惑があった。商人会への課税で、課税拒否にもあう。
・1340 戦費が充分でないまま渡仏しスロイスの海戦で勝利し、トゥールネを囲んだが 傭兵への給与が払えず
休戦となる。政治改革へと走る。
・1341 ノルマンディやブルターニュで領土を拡大し続ける。クレーシーの戦いとカレーの包囲でスコットランド軍を破る。黒死病の流行で一時休戦したが1351 再び戦争開始。ボアティエの戦いで大勝。占領した広大な領土を承認された。
・1368 ガスコーニュ諸侯の反乱。
・1369 アキキーヌで英仏間戦闘再開。
エドワードの長男である黒太子が病にかかり、エドワードの四男ジョンオブゴーントが指揮をとる。負け戦が続き、カレー、ボルドーを残し他の占領地を失う。
・1371 黒太子がイングランドに戻る。
・1334 ジョンも戻る。
・1337 6つの伯家を創設。その後爵位が王によって授与され始めた。議会貴族身分は家柄でなく、国王の権限が作り出すようになった。
黒死病と農民一揆
イングランドは13世紀末までに中世の農業技術がほぼ頂点に達した結果、人口増加に追い付けず餓死者が出始めるほどであった。
・1347 地中海東部からヨーロッパに侵入した腺ペストと考えられる疫病が南イタリヤやフランスの港町を襲った。イングランド南部のウエイマスに上陸し11月にはロンドンに達した。1348には北上しイーストアングリアで猛威をふるう。
ランカシアにも広がりアイルランドには1349に到達。1350にはロットランドで場所によっては人口の半分ないし1/3を失うこともあった。
・1351 労働者規制法を制定し労働者の賃金を黒死病以前の水準にとどめようとしたが地域的にも時間的にも限られていた。
人頭税
14歳以上の人に1人当たり4ペンスの人頭税をかけるが徴収に失敗する。
ワットタイラーの一揆
人頭税に抗議し、ロチェスタカンタベリを占拠。
農奴制の廃止・取引売買の自由・地代を1エーカー当たりペンス以下とするの要求を受け入れさせた。
ランカスタ朝の成立
リチャード3世の寵臣政治
血縁者を重宝したことは彼らが王の権力や財産を、あたかも私物のように扱った。その後不満が高まり
親政政治に戻り1393まで安定した政治状況が続いた。
・1389 フランスとの和平策」、3年間の休戦協定。
・1398 王の寵臣政治の復活。
・1399 リチャード退位。ヘンリー4世誕生
ヘンリーは再び諸侯重視の政策をとる
・1413 ヘンリー4世没後、長男のヘンリー5世誕生。
・1413 対仏戦争再開。
・1420 トロワの条約。
・1421 ヘンリー5世没。
・1422 ヘンリー6世誕生。フランス王位にも就く。1433以降評議会での実権なし。
・1450 イングランドによるノルマンディ支配は終わる。
・1453 100年戦争の終わり。イングランドの在フランス領はカレーを残してなくなる。
バラ戦争
ヘンリー6世は精神に異常をきたし、国政をとれなくなった。
ヨーク公は我が子の王位継承を確保するため、政治の主導権を握ろうとした。
ヨーク公は回復した王が釈放したサマセット公により、不利になり軍事力で
解決しようとした。
サマセット公とノーサンバーラント公は敗れて、バラ戦争の第一次内戦が始まった。
王側とヨーク公側は戦争で一進一退する。ヨーク公はウエイクフィールドの戦いで敗れたが、第二の戦いで
勝利し、王を奪還した。
・1460 エドワード4世誕生。第一次内乱はヨーク朝の成立で幕を閉じた。
エドワード4世
・1469エッジコットの戦い、第2次内乱の始まり.1473ヘンリー6世復へき。
しかしエドワードが圧倒的な戦力で復位。1471~74まで何事もなかったが1475フランスに戦争をしかけた。
第3次内乱
・1483 エドワード5世即位。リチャード3世即位。
14~15世紀の社会と文化
14世紀初めの対スコットランド戦争や対フランドル戦争を賄うための課税、 1315~25にかけての自然災害は家畜の罹病を生み北西英での役育数と羊毛収入を減らし穀物収入を下落させた。しかし、東南英の農業生産は
黒死病が襲うまで健全であった。1450までに原料羊毛に関わって製品毛織物が輸出の花形となった。100年戦争を賄う輸出羊毛への高関税は原料を輸入するフランドル織物業者への打撃となった。毛織物の好調がイーストアングリアやヨークシャなどの地域を富ませた。
15世紀には地域ごとに産業の種類が多様化し、錫発掘や食養牛飼育などが?栄し地代収入のみに頼る領主収入は下落した。14世紀後半以降、社会が身分によって区分され服装を定めた法が制定された。
14世紀前半より100年戦争が始まるとフランスとの文化交流も盛んになる。城建築のフランス化は中世末期まで続く。
教会建築ではイギリス特有の様式を生み、装飾様式、垂直様式で建てられるグロスタ大聖堂やシュルボーン修道院などでは
石工の名前が記録されるようになる。14世紀初めオックスフォードやケンブリッジ大学の設立。
近世国家の成立
・1485 ヘンリー7世即位 (ヘンリ・テューダ)
・1486 フランシス・ラビエルの反乱。
・1487 ランバート・シムネルのアイルランド侵入で深刻な危機となる。この戦争で、ヘンリ軍の兵力によるヨーク家支持派が多く
戦死し30年以上にわたった「バラ戦争」が終わる。
ヘンリ7世の治世
多くの反乱をおさえて確固たるものになっていった。
財政基盤の強化。外国との通商支援など貿易振興策。
黒太子アーサとスペイン王女キャサリンとの縁組でスペインとの同盟を選ぶ。
1502 アーサーが急死、キャサリン未亡人となる。
・1509 ヘンリー8世即位。
この時代の前半はトマスウルジの政治的手腕で支えられた。権力に上り詰め、国政を牛耳る。
海軍力を背景に対外政策を求めた。ヘンリの離婚処理問題(次男ヘンリとキャサリン未亡人との)に失敗し失脚。
・1533 ヘンリーはイングランドの完全独立国家を宣言。
教会問題も最終決定権を持つようになった。
ヘンリーとキャサリンの婚姻無効、教会で見染めたアンとの結婚を認める。
アンの子供は女子(エリザベス)であった。
一連の宗教改革の結果としてイン グランド国教会の成立。(ローマ教会からの独立)
ヘンリーの片腕として活躍したのがトマスクロムウェル。
多大な土地と収益のあった修道院の解散。国王の元に渡された多大な財産も戦費により売却が始まり
貴族やジェントリ・大商人の手に戻っていった。
中央で枢密院の整備、地方で国王への権力の集中を図る。
ヘンリー8世の晩年
クロムウェルは国王が政敵ノーフォーク側に移ったことで1540処刑される。
ヘンリー8世、再びフランスと組んだスコットランドの侵攻問題からフランスと対立することになる。
・1547 エドワード6世即位。治世を取り仕切ったのはハートフォード伯。エドワード時代の宗教改革は頂点に達した。
・1549 ケットの反乱。
・1553 メアリ一世即位。イングランド初の女王。
・1554 イングランドがローマ教会復帰。親スペイン政策。メアリとフェリペの結婚。
スペイン王となっていたフェリペはフランスと対立。外交ではうまくいかなかった。
財政改革では成果を上げる。
・1558 エリザベス即位。
国王至上法、礼拝統一法。プロテスタント信仰。
カトリック弾圧に力を入れたのは治世後半。
これに批判を向けたのがピューリタン(国教会のさらなる改革を求める人々)
ヘンリの離婚問題に始まって宗教の動揺はようやく一応の安定を向かえた。
エリザベスの治世
枢密院を動かしていた中心は貴族外の出身者であった。これが治世の不安要因であった。
そこに登場したのがスコットランドのメアリ・スチュアート。
反乱は失敗に終わる。
・1559 カトー・カンブレジ条約をフランスとの間に結ぶ。対フランス戦争に終止符をうった。
スペインとの対立
エリザベス排除にかつがれたメアリ・スチュアートの処刑。
スペイン無敵艦隊の派遣。
1588 英仏海峡で激突。
ここではイングランド勝利。テューダー期の政治の舞台は宮廷にあった。1570代 長期化した大戦争、深刻な凶作と飢餓
、インフレの進行、疫病の流行、食糧暴動など危機的状況に見舞われた。
一方 ルネサンス文化の輝きもあり、華やかな繁栄というイメージもある。
シェークスピアのベニスの商人・ハムレット、リドマンド・スペンサーの叙事詩。
革命の時代
ピューリタン革命の原因
17世紀はイギリス史上、革命の時代。
・1603 ジェームス1世即位。
議会と王権の対立。
独占権を乱発・特定の企業や商人を保護。輸入に頼っていた商品の国産化。
カトリック教徒の火薬陰謀事件が未然に発覚したことなどにより反カトリック意識が成長。
宮廷にはカトリック司祭がおかれカトリックに対する国民の警戒心は強まる一方。国王と宮廷は
反カトリック意識の標的とされていった。
・1625 チャールズ一世が即位。
前王同様に王権神授を信奉。議会の同意なしに外交、臨時の課税を強行。
議会はクックを中心に権利の請願をしたが、結果として以後11年議会を開催しない専制政治を行った。
反対派の議員やピューリタンを弾圧していった。
宗教的にも親カトリック的改革を展開し、多数のピューリタンは嫌悪と反発を感じた。
ピューリタンネットワークは国内のみならず海外にも張り巡らされた。
ピューリタン革命
革命の発端はスコットランドの暴動に始まる。
・1637 スコットランドに対してイングランド国教会の儀式を強制し、これに対してエディンバラで暴動、
スコットランド人の団結を誓う「国民契約」が成立。
・1639 スコットランドに進軍、撤退する。このことで、議会が復活、専制政治の阻止がはかられた。
議会内部に分裂の兆し。国王と議会派との間で内戦。国王側は貴族やジェントリー
国教会。
議会派は貴族やジェントリー(ピューリタニズム)の一部と商工業者(ヨーマン)。
議会派のクロムウェルの指導で東部連合軍が成立。
・1644 マーストン・ムアの戦いで議会軍の勝利。
・1645 決定的勝利、翌年オクスフォード国王軍の陥落。スコットランドの協力を得ての結果であったが
スコットランド側が長老派と提携。これに対して徹底抗戦を主張した独立派があった。これに平等派が加わる。
議会内部の対立に乗じて国王が第二次内戦を起こすがプレストンの戦いで敗れる。
その後、独立派が中心となり国王チャールズ1世とむきあうことになる。
・1649 国王処刑される。イギリスは歴史上ただ一度きりの国王なき時代に突入した。
その後平等派を鎮圧、独裁体制を作り上げていった。
イギリスは共和制の実験を始めたことになった。
イングランドとスコットランドの合同は1654.
クロムウェル護国卿になる。
国王派は批判勢力となり、クロムウェルを攻撃。
クロムウェル死後、リチャードクロムウェルが護国卿となる。
時計の針を逆回しにするように事態は進んでいき、
スチュアート朝の王政復古への道につながっていく。
・1660 チャールズ3世即位。
議会と国教会を尊重しピューリタンとカトリックという非国教徒を排除する王政復古体制をとなる。
フランスではルイ14世の絶対君主の覇権主義が脅威となる。
・1665 ペスト大流行。
・1666 ロンドン大火。
国王のカトリックへの改宗宣言を条件としたフランスからの年金を受けとるという
ドーバーの密約が発覚などの動きから、騎士議会は反ピューリタンや反オランダ、
反カトリック、反フランスの方針をとるようになった。
・1685 ジェームズ2世即位
カトリックの国王が出来、イギリスは半永久的にカトリック国王をいただく
可能性がでてきた。
・1688 ジェームズに代わりオランダ総督のウィリアムがロンドンに入り、
ウィリアム3世と妻メアリー二世の共同王位に就く。
名誉革命。
ピューリタン革命以来の国王と議会の争いに決着をつけることとなり、
政治的、宗教的革命のゴールとみなすことができる。これ以後100年以上
続く名誉革命の出発点となった。
「権利章典」と「寛容法」の制定。
権利章典--a立憲君主制とカトリック排除の原則
寛容法--a 国王に忠誠を誓えばピューリタン系の非国教徒は罰則から除外される
ウィリアム3世と対外戦争
アイルランド連合軍を破る。北米植民地でも英仏戦争続く。
アン王女とスペイン
・1694 ウィリアム3世単独王位に就く。
・1698 トーリーが選挙圧勝。
・1702 ウィリアム落馬事故で死去。
メアリー二世の妹 アン女王即位。
イングランド、スコットランド合同とスペイン継承戦争(アン女王戦争)の遂行。 イギリス、オランダ、オーストリア3国で対フランス同盟を組み
1704ブレンハイムの戦い
などで勝利。
イギリスはヨーロッパ屈指の最強国となり国際的にも発言力を増すことになる。
2つの革命によって議会主権と信仰の自由を達成することができた。
ただし、古来の自由と権利を継承するもので近代社会として評価できず
ジョンロックびより高められ普遍化されていった。
商業革命と財政改革の時代
・1714 ハノーバー選帝侯がジョージ2世として即位。
ハノーバー朝が成立。
・1720 「南海泡沫(バブル)事件」金融大恐慌。
ロバート・ウォルポールが事件の収拾にあたり事実上の首相となった。
ホィッグ派とトーリー派
ホィッグ--a 財政改革を推進----大地主や大商人----保護主義
トーリー--a 和平派----中小地主から支持----自由貿易
対仏戦争の繰り返しであったが
1697 ライスワイク条約で終結。
1713 スペイン継承戦争終戦。
・1742 ウォルポール辞任。カートレット内閣が後を継ぐが、ハノーバー問題、
アメリカ植民地、インド対仏戦争問題に深入りしていった。
カートレットはぺラム政権に代わる。
・1754 ニューカッスル公に政権を継ぐ。
・1756 7年戦争始まる。
イギリスとフランスの植民地戦争は(インド、アメリカ)
イギリス勝利で決着。
・1760 ジョージ3世即位。
18世紀のイギリスは大英帝国形成の歴史
この歴史は、いいかえれば植民地貿易の発展の歴史でもあった。綿花、砂糖、たばこ。
このことで、イギリスの生活状況も一変した。
ジョージ3世時代 産業革命が進行、社会構造が変化。
アメリカ独立戦争も起きた。フランス革命の影響で
イギリスも政治の変質を迫られた。
7年戦争ではニューカッスルとピットを軸とするホィッグ系の
有力政治家が政権を追われ「ホィッグの優越」は消滅した。
ジョージ3世と「王の友」と称するビュートの側近が占める。
・1763 7年戦争終戦。
アメリカ?3植民地の独立。
膨大な戦費でビュートとジョージ3世の政府は極めて不人気。
ビュートの後を継いだのがグレンビル。
ホィッグの立場から政府批判を展開したのはジョンウィルクス。
グレンビルの後はチャタムピット政権。
タウンゼント法による課税。
・1768 チャタム政権崩壊。
・1755 アメリカ独立戦争始まる。
・1783 パリ講和条約でアメリカ独立が承認される。
名誉革命以来 対仏戦争、7年戦争によって最初の帝国を完成させた。
アメリカ独立戦争は18世紀に入って初めてイギリスがフランスに敗北した戦争。
アイルランド自治の承認。
インド綿布の赤字。中国からの茶の輸入の代価としてインド産綿布とアヘンの中国への輸出。
財政の側面で危機に陥った。
・1782 エドマンド・バーク法可決。
産業革命
綿布など工場制度の広がりで、農村より都市に移動。馬に代わって機械、水力、蒸気機関を
利用するようになった。このような変化を「産業革命」と呼ばれる。
18世紀なかばランカシャ地方の綿織物工業から始まった。
農業革命・商業革命
農業革命--aノーフォーク農法、家畜を年中飼育して冬の飼料としてのカブを導入。休耕地を無くして生産性を高めた。
商業革命-a植民地市場を提供。
エネルギー
蒸気機関---ジェームズ・ワットが改良し広く普及。鉄と石炭への活用
シュール紡織機---クロンプトンが発明。
機関車---スティーブンソン
産業革命による都市化
ヨークシャ運動
・1780 ヨークシャを中心とする改革を求める「ヨークシャ運動」が広がる。
フランス革命とその影響を受けたイギリス国内の改革運動
ナポレオンとの戦い。
ピットのもとアイルランド連合王国誕生。
・1801 マディントンが後継の首相となる。
・1805 ピットは第3次の対仏大同盟の組織化に成功し、ネルソンがトラファルガー沖の海戦でフランス・スペイン連合艦隊を撃破。
ナポレオン1805 アウステルリッツの戦いでロシア・オーストリア皇帝を破って
第3次対仏同盟を解体に追い込むほど勢力は兄弟であった。
グレンビル首相に就く。
奴隷貿易の廃止。
・1807 ポートランド公が首相になる。
こののち与党はトーリー党と呼ばれるようになっていき
ホィッグ党はまとまりに苦闘していた。
次にパーンウィルが首相となるが暴漢に殺害される。
・1812 リバプール伯が首相となる。
ワーテルローの戦い
ナポレオン 1806 ベルリン勅令で大陸とイギリスの貿易を禁止した。
イギリスは反発し大陸封鎖に対抗する措置をとった。
ナポレオンは大陸封鎖に従わなかったロシアでの失敗が没落につながることになった。
・1813 イギリス軍、フランス軍をイベリア半島から追い出す。
ライプツィヒの戦いでナポレオンが敗れた後、ナポレオンは退位し、エルバ島に移った。
・1814 フランス革命、ナポレオン戦争の事後処理が話し合われた。ウィーン会議
・1815 ナポレオンがフランスのパリにて権力回復したがワーテルローの戦いで退位を余儀なくされた。
二度の支配は、より短期間で終わった。(百日天下)
戦後不況 不作と不況 復員兵のため失業が広がる。
・1820 ジョージ4世即位。
自由主義への転換
自由トーリー主義
・1822 カニング外交
・1823 アメリカモンロー主義
・1823 労働組合結成許可
リヴァプールは15年間トーリー党の政権を率いた。
自由トーリー主義
ホィッグ党の政権復帰
・1823 カニング首相となる。
ホィッグ党からランズダウンが入閣
・1827 次の首相ゴドリッチが組織したカニング政権は短命に終わる。
アイルランドカトリック開放問題でトーリー党は分裂状態に陥る。
ウィリアム4世即位。改革を推進する。
ホィッグ党のグレイが首相となる。
ホィッグ党の政権復帰。
・1837 ウィリアム4世が死亡し、ビクトリア女王即位。
チャーチスト運動---労働者階級を中心とする
・1841 保守党 ビールが政権復帰。
大規模関税引き下げ。
穀物法の撤廃
・1846 撤廃。穀物法は地主優遇政策。不作と価格高騰が原因。
・1847 穀物価格上昇を背景にチャーチスト運動は三度目の
盛り上がりを見せた。
このときフランスは二月革命。ドイツでは3月革命。
しかし、イギリスのみ革命を回避できた。
航海法の撤廃
中流階級が求めていた自由主義的な経済改革が推進された。
繁栄の時代
・1851 ロンドン万国博
・1873 大不況の間は繁栄の時代であった。
世界の工場として世界経済に君臨し自由貿易の
ネットワークがグローバル化していった。
鉄道建設----鉄道輸出
支配層は相変わらずジェントリーで中流階級でなかった理由は1850~60 高度集約農業の発展で空前の繁栄期。
衰退は海外からの安価な農産物が流入する1870代の大不況以降である。
他に大土地所有者、議会の掌握があげられる。
さらにジェントルマンの理念や工業化の進展が地主にとって
好都合であったことなど。(工業化により炭鉱、運輸、都市の発達など地主の所有する資本価値があがった)
中流階級の教育熱によるジェントルマン化の風潮
人口の2/3を占める労働者階級の生活様式の好転。食生活の改善
海外政策を狙ったのがパーマストン
クリミア戦争でフランスとロシアに勝利し国民的英雄となる。
自由貿易帝国主義を展開
・1858 インドを直轄支配に置く
・1856~60 中国で第二次アヘン戦争
・1840~42 アヘン戦争で香港を植民地化し中国本土の五港を強制的に開港させた。
フランスと共同で砲艦外交を展開。
大不況
・1837 ドイツに始まる世界恐慌から一転して慢性的不況に陥る。
・1879 恐慌
・1890 ベアリング恐慌
イギリス資本主義と世界市場の再編
この時期アメリカとドイツは急速に工業化しイギリスを凌駕する。
1890代はロシア、イタリア、日本など資本主義後発国が工業化を競う
段階に移行。ラテンアメリカ、インド、オーストラリア、カナダなどが
加わり、アメリカ大陸横断とスエズ運河開港もあって世界の一体化が促進された。
イギリスは貿易赤字をインドの巨大な黒字と極東、オーストラリア、トルコからの
黒字で補った。
世界の工場から世界の銀行家へと移しながら体制の維持につとめる
・1880 代2次グラッドストーン内閣成立
ヨーロッパ協調、自由、平和主義を掲げる
北アフリカをめぐる政策で失敗し、アフリカ分割への道となった。
・1886 ソールズベリ保守党内閣成立。
自由主義は破たんし帝国主義政策となる。
1880代前半に大不況の影響で社会主義団体が結成された。
ハインドマン ---マルクス主義団体、社会民主連盟を組織。
・1899 ボーア戦争(南アフリカ戦争)
南アフリカ連邦構想に沿わないボーア人封じ込め政策
エドワード時代
・1901 エドワード7世即位。
ビクトリア女王とボーア戦争の終結で開幕した20世紀のイギリス
軍事費急増対策 チェンバレンの関税改革運動
・1910 ジョージ5世即位。
社会帝国主義、政策路線の定着
社会政策と軍事力拡張
第1次世界大戦への道
20世紀 イギリスの外交戦略は大きく変化。ボーア戦争での外交的孤立。
・1901 英米協調体制---ヘイ・ポーンスフィット条約
・1902 日英同盟
ロシアの勢力に対抗
イギリスは日本が肩代わりすることで艦艇を本国周辺に再配備でき
日本は、中国やアジア市場への経済的進出を本格的に始めた。
・1904 英仏協商---モロッコ エジプト
・1907 英露協商---ペルシャ、アフガニスタン、チベット
日仏協約
日露協約
これに対抗して登場したのがドイツ
・1901 ボーアの舞台となった南アフリカ連邦の成立
アフリカーナを中心とするアパルトヘイト(人種隔離政策)の原型が確立
・1914 オーストリアがハンガリーのセルビアに対する宣戦布告によって始まる。
ドイツ-aオーストリア支援
ロシア-aセルビア支援
イギリスはドイツのベルギーへの侵攻を理由に参戦。
アスキス連立内閣のもとイギリスの総力戦体制 ---政策・経済面
・1916 18歳から41歳徴兵制施行
ロイドジョージ内閣になり、一層経済活動の国家の干渉が深まる
イギリスにオーストリア、ニュージランド、インドも協力を強いられた。
・1917 ロシア革命
アメリカの参戦によって膠着したまま長期化した第一次世界大戦の
様相が変化した。
・1918 ドイツ降伏
ロイドジョージ内閣で戦いながら平時への転換期乗り切る道を選んだ。
復員兵の失業 ストライキ アイルランド民族への対応
・1922 保守党 ボナ・ロー首相となる
・1923 スタンリ・ボールドウィン商相となる
生活保障、産業の民主的統制、国家財政の改革、公共福祉の4項目を柱とした。
キャンベル事件で再び保守党に政権を渡す。
・1924 再びボールドウィン首相となる
・1925 金本位制への復帰を断行・チャーチル蔵相
この際の通貨レートが過大となり、産業界が深刻な影響を受ける。
ゼネストが起こる。
その後 失業克服を掲げ、労働党マクドナルドが首相となる。
しばらくしてアメリカを端を発した世界大恐慌に巻き込まれる。
イギリスの失業者数250万人を超えた
・1931 労働党政権倒壊
その後連立政権となる。
政権の実権はボールドウィンやチェンバレンの保守党指導者に握られた。
・1935 ボールドウィン首相に就く
相変わらず失業率の増大
イギリスの恐慌を助けたのは自動車、電機、化学などの国内市場指向型の新しい産業
下層中流階級の消費生活を向上させた
以後「持たざる国」ドイツ、イタリア、日本の拡大政策と
「持てる国」イギリスが第2次大戦に向かうことになる。
・1939 開戦時から40年までは戦闘は展開されなかった。
・1940 ドイツがノルウェー、デンマークへの攻撃
チャーチルが首相に就く
ドイツの対仏攻撃始まる
敗北したフランスが休戦協定を結びイギリスは単独でドイツと
戦わなければならなかった。
イギリスへの本土空襲も起こる。
イギリスは科学技術の応用に助けられドイツの攻撃に耐えることができた
ドイツ側のイタリアとの戦いも負担となった。
アメリカの支援 軍需品、武器、食料の供与を始め
チャーチルとルーズベルトの「大西洋憲章」が連合国側の
戦争目的表明としての意味を持つことになった。
日本のマレー半島、ハワイの真珠湾攻撃でヨーロッパと
アジアの戦争が一体化、世界大戦となる。
ソ連の協力、豊かな国アメリカによってイギリスの孤立の戦いは
終わりを告げる。
・1943 イタリア降伏
・1945 ドイツ、日本降伏
保守党のチャーチルのうらはらに労働党が圧勝
・1935 クレメント・アトリー内閣成立
・1950 の選挙で勝利し教育体制の改革
国有化と福祉政策
国有化---イングランド銀行 石炭 航空 鉄道 ガス 国内の公共の2割を占めるまでになった。
福祉政策---国民保険法 失業保険 年金 国民医療制度 貧しい人も安心して治療を受けれるようになった。
100万戸の住宅建設
イギリスの大国幻想の持続は次第に弱まりアメリカがイギリスに代わってソ連に対抗する方向に
なっていく。
サッチャー主義へ
・1951 保守党勝利
・1952 エリザベス2世が即位
保守党を待っていたのは膨大な国際収支赤字
不安定な経済
配給制の廃止、規制緩和、他方で信用の制限、輸入削減、金利引き上げによる
需要の抑制
公務員の削減、閣僚給与の削減など財政支出の抑制
朝鮮戦争特需が追い風となる。
国際収支は黒字、54年完全雇用と
高賃金による繁栄、年間30万戸の住宅供給。
教育、労組、移民、医療などの課題も残った。
・1955 チャーチル首相退陣。アンソニ・イーデンが後に就く。
経済危機、ポンド危機
国内の投資が不充分、労組の存在が弾力性を奪った。軍事費負担。
エジプトのナセル大統領がスエズ運河を国有化。
・1596 英仏両国はイスラエルと組んでスエズ侵攻作戦開始
失敗に終わり中東における地位と権利を失う。
ヨーロッパ統合がイギリス抜きで前進。
EEC(ヨーロッパ経済共同体)が発足
・1957 イーディン辞任、ハロルド・マクミランとなる。
経済引き締め政策に反対した。
・1957 アメリカが核抑止力強化の援助を約束
ポラリス・ミサイル
脱植民地化はアフリカに広まる。
・1957 ガーナ・マラヤ 60~64に13の植民地が独立
・1967 ヒュームが後継者となる
・1964 労働党 ウィルソン政権成立
・1969 イギリス経済持ち直す
ウィルソン内閣はNATOとアメリカの核戦略構想を支持し
インドの中国に対する防衛を理由に核抑止力維持を表明。
・1970 までにフランス、西ドイツ、日本の経済力がイギリスを追い越す。
67年のポンド切り下げがそれを象徴した。
維持費の増大からスエズ運河以東からの撤退を表明。
・1970 保守党の勝利。エドワード・ヒースが続く。
労組対策を重視
第4次中東戦争による
・1973 オイルショック
・1974 労働党ウィルソンが少数派を率いることになる。
深刻な貿易赤字 19%のインフレ 労働争議 ECをめぐる国論の分裂
最優先課題は、経済と労組対策
フェラリーやロールスロイスの救済対策
先端技術産業の国際競争力育成
・1975 ジェームス・キャラハンが勝利
賃金抑制、国家支出削減、一定の失業者増加の容認を基本政策とした。
このことからまたもポンド危機。
ニクソンショック 金融市場の影響。
・1979 150万人の公共サービス労働者のスト。
サッチャー率いる保守党が圧勝。
イギリス史上最初の女性首相
イギリス中央部の小さな町の食料雑貨店の子として生まれる。
メソジスト派の信者だった両親のもとで、節約、努力、自助、貧者への責任など
ビクトリア時代の価値観を身につけて育った。
オックスフォード大学で化学を専攻したのち政治家を志す。
1959に議員当選
・1979 サッチャー首相に就く。
課題はキャラハン時代の社会的混乱を脱して秩序を回復することにあった。
通貨増加率規制と政府支出の厳格な管理によるインフレ抑制を最優先課題とした。
高金利と財政緊縮が3年間続いた。
インフレは1980代末に収まってきたが代償として企業倒産が続出。
失業者は300万人を突破した。
労組や野党他多方面からの批判にさらされる。
この危機を救ったのがフォークランド戦争
アルゼンチンとの戦争
アメリカの支援もあり、アルゼンチン軍の降伏により終結し
一年後の選挙で勝利する。
保守党が労働党に圧勝
第2次サッチャー内閣スタート
教育、地方自治体改革
公営事業の民営化と労働組合との対決
政府の関与をやめて市場原理に委ねる経済哲学のもと民営化促進。
労使関係に自由市場の機能を導入する。
・1987 所得税減税
・1989 首相就任10年目をむかえる
地方改革のコミュニティーチャージの導入が政権崩壊の種となる。
鉄の女の印象を与えたのは 共産主義とのイデオロギー闘争、デタント政策攻撃の
ケンジントンでの演説にあった。
・1990 ジョンメジャーが後を継ぐ
労働党の社会主義の政党から現実主義の政党に変身していく。
・1997 労働党大勝
トニーブレアが首相に就く
経済の再生、ヨーロッパ統合などが課題となる。