中国紀元前 14000年ころ
黄河・長江文明
中国では黄河と長江(揚子江)流域で全く異なる古代文明が展開された。
前5000 稲作が行われていた。長江文明
前6000 黄河流域に農耕に適した黄土 アワ キビ
彩陶(彩文土器) ヤンシャオ文化
前3000 ロンシャン文化 灰陶と黒陶
長江では 上流の四川盆地で前3000~1000の青銅遺産が出土している
石器時代の古代都市跡が発見されている
紀元前1600年ころ
中国古代王朝は神話的諸王から始まる
8人の帝王(三皇五帝)
湯王(とうおう)-a殷(いん)王朝創始
甲骨文字(最も古い漢字)氏族性(王族による)
武王-a周王朝 鎬京(こうけい)に都
血縁を中核とする封建制 神占いを脱し礼秩序による宗教統治
前771 遊牧民に攻略され洛陽に都を移す
前770~
春秋戦国時代 前770~221までの550年間
韓 魏(かん) 趙(ちょう)の三国の独立する前403を境に以前を春秋時代、以後を戦国時代
春秋時代---周は支配力を失う-a10余りの国まで減る
諸侯の覇権争い 北方からの異民族の侵入が激しく勝ち残った諸侯が尊王攘夷を唱えて天下に号令
春秋五覇
韓 魏 趙と斉(せい) 楚(そ) 秦(しん) 燕(えん) 戦国七雄
斉の桓公(かんこう) 秦の文公(ぶんこう)など
農業技術や貨幣制度を発展
富国強兵
思想家の誕生 諸子百家
孔子 儒家 仁(じん)を理想とする 論語
孟子 仁義礼智 徳・性善説
筍子(じゅんし) 性悪説
墨子(ぼくし) 墨家
老子 道家
荘子 道家
孫子 兵家
公孫竜(こうそんりゅう) 名家
蘇秦(そしん) 縦横家
張儀(ちょうぎ) 縦横家
?衍(すうえん) 陰陽家
商鞅(しょうおう) 法家 土地制度の改革、治安、都県制、法治主義、秦の孝公に仕える
紀元前221年
戦国七雄の中で秦は強国となり、前350 都を咸陽(かんよう)に移し、最有力となった。
前221 中国全土統一
始皇帝と改める
全国を36郡に分け、役人を派遣、中央政府が一元的に統括する中央政府的官僚体制を作った。
使用文字を篆書(てんしょ)に統一
貨幣---半両銭
医薬、占い、農業の実用書を除いて諸子百家の書物をすべて燃やす
北の匈奴(きょうど)に備え万里の長城を修築
阿房宮や驪山領(りざんりょう)を築し、一大土木工事での強制使役で不満が鬱積(うっせき)
前210 始皇帝急死
前206 項羽(こうう)と劉邦(りゅうほう)によって秦は滅ぼされる。
紀元前202~
漢王朝
秦を倒したのは先ず劉邦、次に項羽であった。
軍事力で劣る劉邦は項羽に封じ込められていたが
前202 垓下(がいか)の戦いで項羽を破り漢王朝を建てた。
前漢・後漢 合わせて400年
創業から紀元8年までを前漢、25年劉秀(光武帝)が新を倒してから220年に魏に滅ぼされるまでが後漢
高祖(劉邦) 長安に新都を建設 中央集権を止め郡国制を採用
しかし6代景帝のとき呉楚七国の乱が起き漢軍は乱平定後中央集権体制を改める(第七代武帝)
匈奴を討ち西域との交易を始めシルクロードを開く
東北では朝鮮を南方では南越を滅ぼし漢王朝全盛となる
文化面では儒教を官学とし「易経」「礼記(らいき)」
など五経が定められた
武帝の死後王莽(おうもう)が幼少の皇帝を毒殺して新を建てる
しかし政治改革に失敗し、赤眉(せきび)の乱で滅び、劉秀が豪族の支持を受け
25年に漢を再興
洛陽に都を移す。後漢の始まり。
この時代に紙が発明され、漢字も整理され、前漢の司馬遷「史記」をついだ「漢書」が完成
その後2世紀末 山東、河北、河南で農民による黄巾の乱(こうきんのらん)が起こり、
それを平定したのが魏の将軍 曹操(そうそう)である。
220年〜
三国時代
後漢末期、黄巾の乱を鎮圧するため各地に豪族が台頭、中でも魏・呉・蜀の三国が軍事力で突出し60年にわたり3国間で
激しい戦いが続く。
一番強勢だった魏(華北を支配した豪族 曹操)の子の曹丕(そうひ)が220年初代皇帝となる。
曹操 屯田性で財政を豊かにした
曹丕 九品中正法 官史登用策
北の魏は南方へ領土拡大しようとしたが、江南の孫権が劉備と連合して208年赤壁の戦いで破る。
魏は南進断念3国鼎立(ていりつ)の基盤が生まれた。
劉備が221年に成都を都に蜀をたてる。
孫権 222年 建業(南京)に呉を建国した。
呉は中国南部の開発を進め、ベトナム北部に達したが、孫権が在位23年で死ぬと国力を失い晋(しん)に攻略される。
一方蜀は弱小であったが軍師 諸葛亮(孔明)に助けられ魏・呉とともに天下を3分した。
劉備は塩、鉄を専売して国を富ませた。
死後も劉禅が魏との戦いに勝ち雲南の開拓を進めた(諸葛亮の助けで)
しかし魏が反攻にあい諸葛亮は234年病死。
蜀を滅ぼしたのは魏の司馬懿(しばい)であり、呉を倒したのはその孫 司馬炎である。
司馬炎は265年 晋の武帝として即位。中国統一を果たして三国時代は終わる。
581年〜
隋王朝の成立
北方異民族の侵入--->西晋が滅亡し、分裂の時代は300年におよぶ。
589年 北周の外戚(がいせき)楊堅(文帝)が帝位を奪って隋を建てる。分裂の時代終わる。
都は大興城(長安)
律令・官制を整備
均田制を実施
府兵制(農民に兵役を課す)
中央集権国家としての基礎を固める。
第2代の煬帝(ようだい)-a東都・洛陽の建設 大運河を完成させる。
豊かな経済地域となった江南と政治軍事の中心華北を結び付け首都圏の繁栄を図る。
外藩国である高句麗が離反する動きを見せ始め煬帝は3回にわたる大遠征を行う。
しかし、ことごとく失敗する。
このことで、負担を強いられた農民反乱が拡大。
618 煬帝暗殺される。
唐王朝の成立
軍閥の李淵(りえん)(唐・高祖)
618 隋を倒して唐を建てる。
都は長安(西安)
次男は2代 太宗(たいそう)
政治は「貞観の治(じょうかんのち)」といわれる。
律・令・格・式の体系をまとめ中央に3省・六部・御史台を設ける。
地方は州県制
中央集権体制
財政は均田制・租・庸・調制と府兵制
3代高宗のとき高句麗・百済を破り、西は西域のオアシス国家まで領有する
世界帝国となる。
高宗の死後、皇后の則天武后が帝位につく
一時、体制は動揺するが次に即位したのが玄宗。
繁栄を回復したが貧富の差が増大し、均田制や府兵制がくずれ、募兵制を
採用するようになった。
玄宗の晩年、楊貴妃一族が政権を取ると、反発した安禄山(あんろくざん)と史思明(ししめい)が
反乱を起こしたが鎮定される。
これを機に中央の権力は弱まっていった。
9世紀末 黄巣(こうそう)の大乱が起こり党は滅亡。
907~
五代・北宋王朝
黄巣の反乱軍を裏切った朱全忠907に唐を滅ぼす。
開封(かいほう)を都とする。
以後50年 5王朝・10国が独立して争った。
五大十国
960 趙匡胤(ちょうきょういん)がクーデターで政権を奪う。
開封を都とする宋を建国した。
2代、太宗のときに中国統一。
文知主義政策
直属の禁軍を強化
地方の行政権を奪い独裁体制を完成させる。このころ、北方軍事費などで財政が窮乏となる。
11世紀後半
6代 神宗 --a政治改革
王安石を宰相とし、「新法」の改革
(中小商人の生産増加をはかって国力を増大させる)
これに反発する地主・大商人・官僚が反対し改革は挫折し国力は弱まっていった。
1127~
南宋王朝
モンゴル系の契丹族が成長し太祖が中国東北地方を支配し、遼を建国
万里の長城に沿った16州を獲得し、度々 宋に侵入。
11世紀初め和議を結ぶ。
西北辺境----チベット系のタングート族----西夏(せいか)を建国
遼と同盟を結び宋を苦しめた。
契丹勢力の東部ではソンダース系の女真族 太祖が出て遼から独立し金を建国し
宋と同盟し、遼を滅ぼした。
その後宋と金は争い、靖康の変1126~27 宋の都 開封を陥落させた。
高宗は江南に逃れて、宋を再建。臨安(杭州)を都とした。これを南宋という。
金と南宋の対立の時代が始まる。
和平派により宋は金に対し臣下の礼をとる。
多額の貢物で平和の維持を図る。
南宋には米や茶・陶磁器・手工業が発達。東南アジアとの交易が盛んとなる。
1206~
モンゴル高原で12世紀初め遼が滅びると、諸部族の間で統合の動きが強まった。
高原北部にいたモンゴル族が覇権を握る。
1206
チンギスハンがモンゴル帝国を建てる。
千戸制による軍事・行政
モンゴル軍は東の西夏を滅ぼした。
2代オゴタイハンは金を滅ぼし華北を支配。
カラコルムに都を建設。
さらにロシアの大半を征服、ハンガリーに入りドイツ・ポーランド連合軍を破って
ヨーロッパを震撼させた。
西アジア、ヨーロッパにまたがる世界帝国となったが、多様な世界を統一的に
支配するのが困難で、やがて、一族間の抗争が激しくなり、フビライが大ハン即位を
めぐって帝国は分裂に向かう。
元王朝
フビライハンが第5代大ハンに即位すると、その継承をめぐってオゴタイハンの子孫の
ハイドウが反乱を起こし、この乱は40年続いた。
フビライは都をカラコルムから大都(北京)に移し1271に国号を元に改めた。
1279 南宋を滅ぼし中国全土を支配、このとき元寇として2度日本への侵攻(文永・弘安の役)
は失敗。
元は金・宋の政治制度を取り入れ中央に中書省(行政)・枢密院(軍事)・御史台(監察)を
置き、その下に六部を設け地方には行中書省をおいて州県を統括した。
駅伝制---東西貿易
海上貿易----泉州・広州など
モンゴル人第一主義をとった。
モンゴル人の下に中央アジア・西アジア出身の色目人を位置づけ、この
両者が支配階級となった。
漢人・南人は被支配階級にされた。
儒教は軽視された。
フビライ死後は内紛が絶えず国家財政が危機となる。
紅巾の乱(こうきんのらん)がおき朱元璋により元は倒された。
1368~
明王朝時代
14世紀前半からモンゴル支配下の中国各地で中国人の反モンゴル蜂起が頻発
紅巾の乱
朱元璋(金陵(南京)を本拠にしていた)
1368 帝位につき国号を明と改めた
太祖洪武帝と呼ばれる
大都(北京)・上都(ザナドウ)を陥落させ元をモンゴル高原に追いはらった。
南部を拠点に置き、原動力となったのが華中・華南の経済力
農村の復興 「六輸」を普及、中小省を廃止し六部の尚書(長官)を直属とした。
中央集権体制
対外的には、海禁政策(~1567)
海外貿易が制限される。
1402~
永楽帝
洪武帝没後、靖難の変1402 洪武帝の第4子 (姓は朱(しゅ)。諱は棣(てい))
(燕王(えんおう))が帝位を奪って成祖永楽帝と称し1421に首都を北平に移し
北京と改称
モンゴルの残存勢力を一掃
1407 安南(ベトナム)を平定
東南アジアからインド洋にかけて遠征
日本との関係
臣従した室町幕府3代将軍足利義満を日本国王に封じ、朝貢形式の日明貿易を行った。
永楽帝没後は対外進出は奮わず、内モンゴル放棄、ベトナムの独立を承認
重用された宦官(かんがん)たちが権勢を奮い内政が混乱 武宗 (ぶそう)正徳帝の
地代には王族までが反乱を起こすようになった。
「格物致知」を唱えた王陽明が反乱軍と戦ったのはこのころ。
1567 海禁政策
1572~1620 文化的には 「三国志演義」「水滸伝」「西遊記」などがまとめられた。
1636~
清王朝
1635 飢饉をきっかけに張 献忠(ちょう けんちゅう)・李自成らが蜂起
1616 満州のヌルハチ(清の太祖)が部族を統一し、ハンの位について国号を後金と称し
満州の大半を席巻した
その子ホンタイジ(太宗)は内モンゴルや朝鮮を征服し1636 国号を清と改めた
1644 李自成は北京を占領して帝位につくが清の支援を受けた明の呉三桂に敗れて自殺、
張献忠も戦死
清の世祖順治帝は明の官僚機構をそのまま継承して、減税を行い民心掌握につとめた。
清朝
聖祖 康熙帝(こうきてい)・世宗 雍正帝(ようせいてい)・高宗 乾隆帝(けんりゅうてい)
の3代に全盛期を向かえる。
康熙帝-----内敵や台湾を平定、ロシアを撃退
雍正帝-----チベットウィグルを版図に加える
乾隆帝-----ベトナム・ビルマ・シャム(タイ)にまで遠征し属国とした
国内では人口は1億を超え人と土地に課税に代わる土地税
1796 白蓮教徒の乱 清軍の腐敗が一層進む中19世紀半ばのヨーロッパ列強のアジア進出を向かえる。
1840~
アヘン戦争
清朝は明と同じく、海禁を行ったが1685~朝貢国以外の国との貿易を行うようになった。
ポルトガル・スペイン・オランダ
17世紀前半 イギリス東インド会社
18世紀半ばにはポルトガルを圧倒し中国貿易をほぼ独占
イギリス輸入品 絹・陶磁器・茶
輸出品 銀であったがインド産アヘンに変わった
1830 アヘンの蔓延により風紀退廃・政界の堕落
1838 アヘン禁輸をめざして厳罰をもって対応
1840 アヘン戦争
1851~64
太平天国
南京条約 イギリスとの対等な外交を認めたが万国公法(国際法)上、不平等な立場に置かれ
、清の条約不履行・反英運動で1856 アロー号事件を契機とし、イギリスが派兵に踏み切る。(アロー戦争)
フランスも参戦
1858 天津条約 1860 北京条約
これにより 清は多額の賠償金の他11港の開港、キリスト教普及の自由、アヘン貿易の公認
1851 広西省の洪秀全が蜂起。太平天国の乱 拝上帝会など唯一神教の創始者
1853 南京を占領 天京と改め首都とする。
清朝の正規軍が手を焼くのを見て、曽国藩が義勇軍を組織(後の湘軍)し李鴻章の淮軍(わいぐん)と
太平天国軍を打ち破る力となった。
アロー戦争後はウォード(米)、ゴードン(英)率いる常勝軍も鎮圧に加わり1864洪秀全の死と天京陥落
によって乱は終結。
1912~
中華民国成立
アロー戦争後近代化を進めたが列強の浸出は止まらなかった。
1860 ロシアが中央アジアの各汗国(はんこく)やイリ地方を占領
イギリス---マレー半島、ビルマを支配下
フランス---越南(ベトナム)を保護化
清仏戦争で敗れた清は勢力圏を次々に奪われた。
さらに日清戦争に敗れ領土割譲や賠償金に加え朝鮮の独立まで認めさせられた。(下関条約)
清では変法自強運動が提唱されたが、西太后ら守旧派の抵抗によりとんざした。
1898 戊戌(ぼじゅつ)の政変
義和団事件で8か国連合軍に敗れる
満州はロシアに占領された
1911 辛亥革命が勃発
「民族・民権・民生」の三民主義を唱えて孫文を1912臨時大統領とする共和制の中華民国が成立
北洋軍閥を率いる袁世凱は革命軍を鎮圧する立場にあったが、孫文から大統領の座を譲る密約を
受けると寝返り宣統帝薄儀(せんとうていふぎ)を退位させ清朝は滅んだ。
1912 国民党が圧勝したがそののち反発する勢力の革命を経て袁世凱の独裁制を復活させた。
1931~
満州事変
辛亥革命で清国は解体し中華民国が建国されたが実際は各地に軍閥が割拠する無法地帯となった。
満蒙は日露戦争で日本とロシアの勢力圏とされた
その後実効支配した張学良は紛議が絶えず日本が満州事変で駆逐する
翌年、満州国を建国
軍事的には日本の勝利だったが中華民国の蒋介石は日本の国際連盟からの放逐に追い込む
蒋介石の狙いは中国共産党の掃討であって国共合作を破棄し共産党は「長征」と呼ばれる逃亡に
追いやった
毛沢東はソ連への亡命寸前であったが張学良が蒋介石を軟禁する西安事件が発生し、
第2次国共合作と対日抗戦を解放の条件とされた
1937 日本と中華民国 支那事変(日中戦争) 8年間
この間に中国共産党が勢力を浸透させていった。
抗日民族統一戦線を結成して8年間の抗日戦争を戦った中国は日本の降伏により勝利を得た。
1946 連合政府の樹立を決定したが蒋介石の国民党が決定を破棄し内戦が始まる。
アメリカの支援を受けた国民党が優位だったが学生・労働者・知識人・民族資本家も
反政府運動を展開
一方、共産党は土地改革により農民の支持を獲得し勢力拡大していった。
1948 共産党の総反攻が始まり、1949/1 北京に正式に入城
首都 南京
5月に上海を解放
国民党の軍隊を解体し蒋介石・国民党右派は台湾に逃亡した。
1949/9 人民政治協商会議での共同綱領の採択を経て10月中華人民共和国の建国が宣言された。