アメリカの歴史

(五十嵐武士、福井憲彦著より)

年表

1492 コロンブス、バハマ諸島に到着。アメリカ大陸発見。

1584 ローリー、ロアノック島探検

1607 バージニア会社建設

1614 バージニアからイギリスにタバコ輸出

1619 バージニアで最初の議会

1620 メイフラワー誓約

1622 ポウアタン連合によるバージニア戦争

1624 オランダ、ニューネーデルランド建設

1636 ハーバード大学創設

1639 コネチカット基本法制定

1660 イギリス議会、新航海法を制定

1664 イギリス、ニューネーデルランドを奪取しニューヨークと改称

1682 ラサール、ルイジアナをルイ14世に献上

1688 ペンシルベニアのメノナイト教徒、黒人奴隷制に反対を唱える

1689 ボストンで武装市民蜂起。無血革命成功

   ニューヨークでティスラーの反乱

1692 セイラム魔女狩り

1717 スコッチアイリッシュの大量移住開始

1734 エドワーズ「大覚醒」を始める

1743 アメリカ哲学教会設立

1747 ボストンで強制徴兵に対して民衆反乱

1751 フランクリン「電気に関する実験と観察」

1754 フレンチインディアン戦争勃発

1763 パリ条約締結

1764 印紙税法、駐屯法制定

1766 印紙税法撤廃、宣言法同時採択

1767 タウンゼント諸法制定

1770 タウンゼント諸法撤廃

1773 茶法制定

1774 第一回大陸会議

1775 レキシントンとコンコードの武力衝突

   ワシントン大陸軍総司令官に任命される

1776 大陸会議で独立宣言公布

1780 ペンシルバニア奴隷制廃止法制定

1781 北アメリカ銀行特許状取得

1783 ワシントン大陸軍司令官辞任

1784 ジェファーソン「バージニア覚書」

1786 ジェイズの反乱

1787 合衆国憲法最終起草案

1788 合衆国憲法発行

1789 第一回連邦議会開催

   ワシントン大統領に選出される

1790 財務長官にハミルトン 公債改革提案 合衆国銀行設立を提案

1791 ハミルトン派リパブリカンを名乗る

   第一次政党制が展開される

1793 フランス公使ジュネ、革命外交を展開

   ワシントン中立宣言

   ホィットニー綿繰機発明

1794 ウィスキー反乱

   フォールンティンバースの戦い終結

   ジェイ条約調印

1795 ピンクニー条約締結

1790 ワシントン告別演説

   Jアダムズ大統領当選

1797 XYZ事件

1798 海軍省創設 外国人治安法制定

   ケンタッキー決議

   フランスとの宣戦布告なし戦争への突入

   バージニア決議

1800 ジェファーソンの大統領当選

   初の政権交代

1801 第二次信仰復興運動開始

   ニューヨークで猟官制開始

1803 フランスからルイジアナ購入

1807 出港禁止法

   連邦議会、奴隷貿易を禁止

  フルトンの蒸気船 ニューヨークからオルバニーまで航行

1808 マディソン大統領当選

1809 テムカセ抵抗運動開始

1811 ハリソン、ティピカヌーの戦いで勝利

1812 1812戦争開始

1814 フエデラリスト、ハートフォード会議開催

   ガン条約調印

1815 ジャクソン、ニューオーリンズの戦いで英軍に大勝

 

先住民との出会い

北アメリカ大陸先住民が住むようになったのは約25000年前。シベリアの陸続きであるベーリング海峡を渡って来たものと考えられる。

インディアン(ネイティブアメリカン)は約100万人。

 

・ニューヨーク北部、五大湖周辺に五部族

モホーク、オナイダ、オナンダカ、セネカ、カユーガ -----イロクオイ族

 

・ニューイングランド地区に三部族

 ワムパノアグ、ナラガンセット、マサチューセッツ-----ピークオート族

・オランダやフランスとの毛皮貿易をめぐってヒューロン族とイロクオイ族との対抗

・大西洋中部  デラウエア族

        サスケノハノック族-----バージニア植民地を建設

・イギリス入植者が最初に出会ったのはポウアタン連合---六部族

・西部  ショーニー族、現在のノースカロナイナにはチェロッキー族

・現在のサウスカロライナ西部にはカトーバ族

 クリーク、チョクトニ、チカソ

 

 女性は トウモロコシ、カボチャ、メロン、豆 栽培

 男性は 狩猟や開墾

 

・インディアンが出会ったヨーロッパ人

 スペイン、フランス、オランダ、イギリス

 

南部植民地の建設

 16世紀末、イギリスでも一攫千金を夢見て北アメリカ進出を企てる野心家が現れた。

 ウオルタローリー、彼は結婚せず処女王と称されロアノーク島をバージニアと名付けた。

 バージニア会社の入植

 1607 ジェームズタウンの建設にとりかかるが病気や寒さから入植者は減少、インディアンからトウモロコシの栽培の仕方を教わって

 飢えをしのいだ。

 にもかかわらず、指導者のジョンスミスは軍事訓練を行いインディアンに食料の供出を強制するまでに軍事力を鍛えた。

 スミスが残した遺産は金銀などの財宝を探すのをあきらめ、農作物を生産する植民地として発展させたこと。

 タバコの商品化に成功しバージニア会社の発展につながる。

 

バージニアの立憲主義

 植民地およびその子孫はイギリス本国の国民と同じ自由や権利を享受できることが、民主主義が発展する基盤となった。

・タバコ栽培で成功したラルフトポウアタン連合の長ポウアタンの女王がキリスト教に改宗したポアカホンタスピとの結婚(1614)するが

 二人とも亡くなってしまう。

 ポアカンホンタスの弟 オペチャンカナウは植民地人の支配を恐れ、1622 バージニア植民地を攻撃し人口の1/4を殺害する。

 

 文明の衝突にともなうものであったが、植民地側は武器を補充して反撃しインディアンの脅威は薄らいでいったがインディアンを

 敵視する戦闘は繰り返すこととなった。

・バージニア会社は期待した利益を上げられるため王領にされた。立憲主義は後退したがタバコの生産の伸びは支えられ植民地人代表による議会を自主的に開催し立憲主義確保の努力を続けた。

 1639 チャールズ一世もこの議会を承認

 タバコ栽培は短期間に土地がやせてしまうため絶え間なく土地を求める膨張主義を生じさせた。

 宗教的にはカトリックとプロテスタンとの反目を生じていた。

1633 カロライナ植民地建設

   砂糖の生産 

土地の付与、代議制、信仰の自由が認められた

 

・ニューイングランド植民地の建設

 ピルグリム・ファザーズ

 アメリカは現在でも大量移民を受け入れている。

 労働力だけでなく人類の避難場所としての難民受け入れを寛大に行っている。

 

 ピルグリムファザーズは1620メイフラワーでニューイングランドに渡り植民地建設にあたる。

 メイフラワー誓約----上陸後独自の行動をとろうとする人々の協力を確保するため

 

 マサチューセッツ湾植民地----ジョンウィンスロップ

               聖書の教えを実践する共和国建設が目的

 

・宗教的な会衆派  ロジャーウイリアムスやハンテンソン

 自由を目指す会衆派 ナサニエル・ウォード

 

 マサチューセッツを追放されたウィリアムズはプロビデンスに移り住み、信仰の自由と政教分離を保証する自治領ロードアイランド植民地

 を建設

 ピューリタンの牧師トマス・フッカー コネチカット植民地

 

 インディアンに備えて民兵制に加え、ミニットマンという独特の部隊も生まれた。

 1676 フィリップ王戦争終結し、ニューイングランド地域のインディアンは平定された。

 

中部植民地の建設

 ニューヨークやペンシルバニアは入地が遅かった。しかし多民族社会になった特徴がある。

 宗教・民族が異なることや黒人奴隷の多さ。

 

 ニュージャージーはニューヨーク領主のヨーク侯が2人の友人に土地を付与したことで生まれた植民地

 

 ペンシルバニア

 ウィリアムペンが教徒として自ら理想を実現するために植民地を建設した。

 ペンはイギリス本土では非国教徒として弾圧を受けていた。しかしチャールズ二世との仲が良く植民地を許可された。

 イギリスの名誉革命も植民地に影響を与える

 

・植民地の経済的発展

 1700 25万 1740 90万 1770 214万人となったがこれは経済発展によるもので、イギリス本国の貿易規制に影響されなかった

 ため

 タバコと穀物の輸出

 

 南部では

 1690 米作に成功

    藍染の原料であるインディゴの栽培と加工処理の開発に成功

 

 中部 

  小麦粉や魚 銑鉄・鉄の加工

  造船業が発達しボストンがその中心となった。

  帆船 スクーナー  アンドリューロビンソン設計

 

  奴隷貿易 黒人奴隷の導入が促進されていった。

 

・ 西部開発

 18世紀中盤 植民地人は不動産会社を設立し、大規模西部開発に取り組む

 オハイオ会社 サマケハナ不動産 ミシシッピー会社 ---ジョージワシントンも参加

 

・南部奴隷社会の形成

 タバコ栽培-a大規模プランテーション

 プランター層の形成は

 イギリスのジェントリー(郷紳・専門職)層を移植する形となった。

 

 年季奉公人

 プランテーションの労働力の主体となった人  ----白人から黒人奴隷へ

 1705「奉公人・奴隷法」が制定される

 

 中部多民族社会

 宗教的寛容

 1730以降 英語の普及 英語で説教

 ニューヨークのルイス・モリスなどが階層や民族にとらわれない立憲主義の意識を高めるのに貢献

 ペンシルバニアではウィリアムペンが多様性を重視し不寛容さは無秩序を招くという持論を抱いていた。

 しかし宗教上の問題としてドイツからのモラビア派布教やそれに対抗する他教派との抗争がおきる

 

 スコッチアイリッシュは北アイルランドアルスター出身でペンシルバニアの移民ではイングランド以外ドイツと並んで多かった

 

 西部進出でインディアンに対し資力がないため土地の無断借入のためペンシルバニア植民地政府が土地を買うはめに陥った。

 

 領主派とクエーカー派の対立----軍事力を持たない国家(聖なる実験)

 1744 フランスとの戦争勃発

 ベンジャミンフランクリンが植民地防衛の必要を説き軍隊が組織された。

 1763 イギリスがフレンチ・インディアン戦争で勝利するなか、西部の進出が続きオタワ族の首長ポンティアックが反撃に出る

 「ポンティアックの反乱」 (インディアン対策や議会での過小代表)

 フランクリンは武装を促すが彼らの不満を解消することでことなきを得た。

 

植民地自治の発展

 タウンミーティング

 ニューイングランドでは小規模な村落のタウンに共同体が作られたことに特徴がある。

 住民が教会を中心にタウンに集結

 その中心となる政治機関が自由人の成人男子が全て参加するタウンミーティングであった。

 道路・橋の建設・課税・警察・軍事まで自律的に遂行。

 

 

 

セイラムの魔女狩り

 タウン共同体は会衆派の厳格な絶対的神への信仰や道徳観を基礎にしており、近代的な合理主義とはかけ離れていた。このため

主として中年の女性が魔女として処刑される。なかでも、マサチューセッツの港町セイラム村での魔女狩りが起き、男性20人が処刑、

100人が投獄された。

 

1720~30~40 信仰復興運動

 ジョナサンエドワーズ 信仰の衰退を嘆いてカルバンの教えに立ち戻り超越的な神に全面的に身を委ねることによってのみ人は

堕落した状態から脱却して救われると説いた。

エドワーズ以上に大覚醒の牽引力となったのはホワイトフィールドが各地を説教し多くの回心者を生み出したこと。

アイザックバプテスト派教会を創設。

大覚醒は既存の宗教ばかりでなく社会的権威に対して批判的で自分の信仰とその他の信仰を共有する人びととの連帯を重視するように

なったことに特徴が見られる。

イギリス本国の権威に対しても自主性を主張することにつながる。

在野(カントリー)派の存在

植民地の自主性を重視

 

文化的発展

 マサチューセッツを建設したピューリタン達はニュートンの近代科学に強い関心を抱いた。

コトン・マザーはザブデイル・ボイルストンと協力して種痘を受けるよう説教し実施した。

 

ベンジャミン・フランクリンは独学で科学を研究して電流のプラス・マイナスを発見、電池、充電、放電などの用語を残した。

デイビッドリンテンハウスは時計職人だったが、数学好きでニュートン物理学を勉強し、金星の軌道を観測した。

黒人のベンジャミン・バネッカーは独力でアメリカ製初の時計を設計し完成させた。

教育

ハーバード、イエール大、ニュージャージー大(プリンストン大学)

出版と報道も盛んになる。

 

イギリスの植民地政策の転換

1763 フレンチ・インディアン戦争の終了後、イギリス本国政府は植民地政策を転換し、介入を強化する方針に転じた。

 

貿易政策

初期はイギリス本国の産業発展のためだったが、だんだん政府歳入のための課税で財政的性格を深めた。戦費対策などに当てられた。

 

大衆課税である印紙税法の制定は抗議運動の火種となった。

 

抗議思想

・イギリスの立憲主義 エドワード・コークやウィリアム・ブラックストン

・自由主義思想 ジョンロック

・政治評論家  

   右   ジョン・ボーリンググブリック 人民の不満に耳を傾け善政をしく。国王の統治。

   左   ホィッグ急進派のジョン・トレンチチャードとトマス・ゴードン  

共和制を理想としていた。共同体全体の公共善を実現する

 

抗議運動の特徴

・植民地間の運動として展開

・民衆の政治参加

・さまざまな運動の形態が生まれた

 

ボストン茶会事件 1773

 モホーク族に紛争したボストンの民衆が東インド会社の茶箱を港に投げ込んだ事件

 北アメリカ独立に向かう情勢が作られた

 

ニューヨークの急進派指導者

 中小商人のアイザック・シアズやアレクサンダー・マクドウガルらが急進派の指導者となり「自由の息子たち」を結成

禁輸や印紙の使用拒否が強力に遂行された。

 

バージニアでもパトリック・ヘンサーが議会演説で有名な「自由を与えよ。しからずんば死を」という言葉で結んでいる。

日本の板垣退助の「板垣死すとも自由は死せず」はこの言葉に因んだといわれる。

 

1774 フィラデルフィアで第一回大陸会議が開催される。この会議でイギリスとの貿易停止を行う方針が決まった。

このことは、民衆の支持のもと抗議運動を展開してきたS.アダムズら急進派の勝利を意味した。

次に「植民地の権利と苦情の宣言」を採択した。

 

独立宣言

イギリスとの武力衝突

1775 イギリス軍とマサセッチューセッツ民族隊との衝突

 大陸軍の創設を決め、バージニアの大プランターのジョージワシントンを最高司令官に任命した。

推薦したのはジョンアダムス(S.アダムスのいとこ)

独立に向けて積極的に推し進めたのは南部の植民地。ノースカロナイナやロードアイランド独立宣言。

J.アダムズとリチャードリーは独立を推進する方針をとり、各植民地に勧告決議案を提案した。採択され独立宣言とみなした。

バージニアでも植民地内の連帯の下に独立を決断する道が開かれた。

1775/7 北アメリカの植民地の独立が正式に決定された。

 

1776 バージニア州憲法の制定

第1条       個人の自然権

第2条       人民主権

第3条       最大限の幸福と安全を生み出すこと

第4条       言論出版の自由

第5条       民兵制度規定

1777 ペンシルベニア州憲法

   自由人の成人男子に選挙権を認める

   急激な変革だとする批判もあり共和派が結成される。政党対立が展開された。

 

ニューヨーク州憲法

1777/4 一部民衆の政治参加が制限されるものになった。

 

マサチューセッツ

1780 立法府は二院制 立法府の2/3の賛成で拒否権が与えられた

 

1775 レキシントンとコンコードでの武力衝突を境にイギリス軍と戦わねばならない立場に立たされた。

   イギリス軍は植民地軍を見下していたがバンカーヒルの戦いではイギリス軍の2/5の犠牲者を出す羽目になった。

 

実際にはジョージワシントンは民兵隊を見て部隊とみなされる状態でないことを知り、正規軍に再編する方針を大陸会議に提案した。

正規軍の応募は増えず人員不足の状態であった。

 

武器の調達

フランスが援助、スペインも支援。

 

ワシントンはイギリス軍の優位を認め、兵力温存、辛抱強く好機を待つ作戦に徹した。

ニュージャージートレントでお祭り気分のクリスマスにイギリス軍を奇襲攻撃し勝利。

外国軍支援 フランスやスペインを参戦させるための交渉。ニューヨークのサラトガの戦いでの勝利が道を開く。

 

1777 フランスと友好通商条約 スペイン・オランダも支援

1781 ノースカロナイナのギルフォードでイギリス軍に大勝

   ヨークタウンの戦いにも勝利してついにイギリスはアメリカと和平交渉に入る。

1783/9 パリ条約でアメリカ独立が正式に承認された。

  ワシントンは英雄となる

 

財政的な戦後処理

戦費が予想をはるかに超え、州民には負担する能力もなかったため、紙幣の発行を続けたが、紙幣の下落は激しくインフレの中で

暮らしも困難に直面した。

インフレ対策として生活必需品や輸入品の最高価格や労賃の設定を行った。

中部や南部では裕福な農民の反対にあって物価統制を破棄せざるを得なくなった。

 

連合会議の財政改革

外国の援助や外国銀行の融資であったが充分でなかった

ロバートモリス

北アメリカ銀行を設立

フランスからの借款とモリス自身の信用をベースに連合会議の財政を軌道に乗せることができた。

 

大陸軍の解散

給料の未払いや年金の不安

「ニューバーグの檄文」---青年将校が発する

ワシントンが説得に当たり年金を一時金にする措置により事態の収拾を図った。

 

その後大陸軍は一部を除いて解散。

こうして第二次世界大戦への参戦まで続く。

戦争の勃発とともに動員し、終われば解散という軽武装国家の伝統が生まれた。

 

それに、財務総監制を廃止

理由は

共和制の存続に危険な要素をはらんでいるとみていた公職を私益のために利用することもあったため

 

奴隷解放

アメリカ革命の指導的思想

共和主義や啓蒙主義には人間の理性を信頼し、それを活用して社会を改造しようとする傾向が顕著に見られた。

 

黒人奴隷制についても例外でなかった。

1775 クエーカー教徒のアンソニー・ベネツェットやベンジャミンフランクリンが「不法に束縛されている黒人救済のための協会」

を結成した。ニューヨークでは奴隷解放振興協会の設立。兵力不足対策でもあった。

バーモント  1777 奴隷制の廃止

ペンシルバニア 1780

ニューヨーク 1799

ニュージャージー 1804

 

信仰の自由

信仰や良心の自由は個人の権利のなかでも中心的なものと位置付けていた。

1786 信教自由法  バージニア

 

女性の地位の向上を重んじる主張がなされ実行された。

 

独立派すべての植民地人にとって当然だったわけでなく反対して忠誠派や中立の人もいた。

戦争中、忠誠派の人々の財産を没収していた場合が多かったことが問題であった。

 

独立後の各州は戦後深刻な不況に見舞われた。

輸入の急激な増加によって貿易収支が極端に悪化したため。

イギリスの貿易統制により輸出市場から締め出された。

輸出不振で正貨が大量に流出、物価も賃金も下落した。

それに加えて債務返却の財政問題に直面した。

各州のいろいろな対策がなされた。

 

シェイズの反乱

マサチューセッツ 債務取り立てをおさえるために裁判所を閉鎖した反乱

各州政府は思い思いに財政問題に取り組んだが政治的安定を達成したとはいえなかった。

 

連合会議の西部地域対策

インディアンとの文明の衝突の性格を持つ、広大な土地利用は共和制を目指していたバージニアのジェファーソンが担当した。

ミシシッピーの自由航行権問題が、連合の分裂問題に繋がった。

連合政府の考え

フィラデルフィア会議が「連合規約の改正」という枠をこえて合衆国憲法の起草へと自ら基調を作り出した。

 

合衆国憲法の基本理念

自由の保障、権力分立制-a立法、行政、司法の三権の均衡

 

州間の国際機関でなく君主制の活力をもちながらの自由を保障する中央政府として構想された。

 

初代大統領ワシントン政権

1789 第一回連邦議会

ワシントンが大統領に選出される。

副大統領 ジョン・アダムズ

 

合衆国憲法に三権分立に加え、信仰、言論、出版、結社、武装などの権利が加わった。

ハミルトン   製造業の振興、黒人奴隷に頼らないアメリカの発展

ジェファーソン  農業国としての発展

マディソン  ハミルトンの財政政策に反対

 

ワシントンはハミルトンの姿勢を支持、第一合衆国銀行は財政運営を支え、アメリカ経済に金融上促進的な効果をもたらす。

 

ジェファーソンやマディソン  リパブリカン(共和派)と名乗った。

ハミルトン支持派  フェデラリスト(連邦派)といった。

西部地域の住民はウィスキー課税反乱でワシントン政権の反発を強めリパブリカンを支持するようになった

 

1789 フランス革命が拡大し、イギリス、オランダ、スペインに対して宣戦布告。

ワシントンは中立宣言したがイギリスは中立国を認めず船舶拿捕を発する。

ジェイ条約でイギリスとの関係安定化がもたらされる。

 

フランスはジェイ条約に反発し、中立国の船舶に対してイギリスと同じ方針を取ると宣言しアメリカ商船の拿捕を始めた。

対仏交渉の経緯はXYZ事件と呼ばれる。

アメリカは防衛措置を強化し宣戦布告なしの戦争に突入した。

モルトフォンテーマ条約でアメリカの中立国としての権利が保障された。

 

ジェファーソン大統領

1800 初めての政権交代 ジェファーソン大統領就任 (リパブリカン派)

 

リパブリカン政権

1800 首都がワシントンDCに移る

ジェファーソンは「私たちはすべてリパブリカンであり、私たちすべてフエデラリストである」といって党派対立の融和に努めた。

フエデラリスト政権が歪めたアメリカ革命の精神を取り戻すことを重視していた。

共和主義の実現に向けて理想を追求した。

 

ジェファーソン政権の共和主義はアダムスミスの思想にも影響を受けており、中央政府が市場に介入するのを極力抑制する

方針を取った。

民間の旺盛な経済活動をもたらす

 

民間の活力の発展ではセクション間の性格の違いも広がっていった。

南部   綿花の栽培 供給地であることで政治的目標とはうらはらに黒人奴隷制が強化されたことになる。

     イーライ・ホィットニー 綿の種子と繊維を分離する綿繰機を発明

繊維産業はニューイングランドで発達した。

 

イギリス出身のサムエルスレイター、アークライト式紡織機の復元

1807 までにニューイングランド南部に15の工場が設けられた

フランス Cローウェル 1813 ボストン工業会社を設立し自ら設計した機械織機を職人のポールムーディーが完成させた。

 

ニューヨークが大都市へ

楠部産の綿花の輸出拠点になったことによる

 

1803 フランスからルイジアナを購入

   北西部では引き続きインディアン対策、ティムカセの対アメリカ戦争。インディアンはイギリス軍と共同で戦争。

1812 イギリスへの宣戦布告

   2年半 イギリス軍がテムズ川の戦いで敗走(テムカセの戦乱)

1812 ニューオーリンズの戦いでイギリス軍を大破

ジャクソン第七代大統領に就任

連邦共和国が北アメリカ大陸の西海岸までやがては世界に飛躍することとなる。